| 第14回 |
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NHKスペシャル阪神大震災シリーズ(第5回)を見て(その1) |
平成7年1月17日、兵庫県南部地震が発生し、約6500人の生命が失われました。災害から家族を守る筈の住宅が、ある日突然凶器に変わって、一瞬のうちに多くの生命を奪うとは誰も予想しなかったことではないでしょうか。震災後、NHKをはじめとしてテレビ各社は、それぞれ連日にわたって阪神大震災の被害状況やその原因の検証ならびに災害に対する政府の対応、ライフラインの復旧状況、仮設住宅の生活等についていろいろと報道しました。報道によれば、亡くなられた方の多くは木造住宅の倒壊によるものだったとの事です。NHKは震災後、スペシャル番組を組み、阪神大震災をシリーズで放映しました。シリーズの第5回は「強い住まいをどうつくる」というタイトルで、地震による建物倒壊の原因と安心して住める住宅の造り方について解説していました。このスペシャル番組の冒頭でアナウンサーが語っていた言葉を文字にして見ました。震災後10年も経ってはいますが、いつの日かあなたのご家族を襲って来るかも知れない地震災害の恐ろしさを想い起こして頂くために、改めてここにご紹介いたします。
「1月17日早朝、震度7の激震が阪神間と淡路島北部を襲いました。家は一瞬のうちに崩れ、多くの人が逃げる間もなくその下敷きになりました。安らぎの場であった家がもろく崩れ、これほど多くの命を奪うとは誰も思っても見ませんでした。」
「コンクリートや鉄で造られたマンションも被害をまぬかれることはできませんでした。木造家屋やマンションのどこが地震に弱かったのでしょうか。」
「地震に強い住宅とはどんな住宅なのか。安心して住める住宅はどうすれば造れるのでしょうか。地震国日本の住宅の安全性が今改めて問いなおされています。」
「都市直下型の地震の恐ろしさを見せつけた阪神大震災、その大きな特徴は地震発生から短時間のうちに多くの方が壊れた住宅の下敷きになって亡くなった点にあります。私たちの生活の場であるとともに、安全を守るべき住宅になぜこれほどの被害が出たのでしょうか。」
アナウンサーの語りから、テレビで放映された直下型地震の恐ろしさを改めて思い出される方も多いと思います。そして、「今夜はこの住宅の倒壊原因を徹底的に検証し、地震列島と呼ばれる日本でどうしたら地震に強い住宅を造ることができるのかを考えてみます。」と続いていますが、この「住宅の倒壊原因の徹底的検証」についてはかなり判りやすく解説されていますが、「どうしたら地震に強い住宅を造ることができるのか」については特に前向きの提案はなかったようで残念に思います。
前置きはこの程度にして、実際の被害状況に触れてみましょう。スペシャル番組は震災翌日の被災地の状況を航空写真に撮って調査を行い、被害の程度を色別けして説明していました。調査の結果によれば、被害を受けた住宅は総数25万棟で、そのうち10万棟は修理不可能とのことでした。また、被害が特に激しかった神戸市と芦屋市の境界付近、芦屋市の清水町と津知町ならびに神戸市東灘区の深江北町1丁目については更に詳しい説明がありました。この地域では被害総数581棟の約80%が全壊し、亡くなられた方が116人で、その殆どが住宅の下敷きになって亡くなられたとのことです。また、芦屋市の津知町の被害家屋141棟については建設時期と被害の関係を調べ、詳しく分析しています。
芦屋市津知町の住宅を建設時期で分類すると、昭和35年以前に建てられものは51棟、昭和36年〜55年は64棟、昭和56年以降は26棟でしたが、このうち35年以前に建てられたものは最も被害が多く51棟のうち90%が倒壊しています。なお、倒壊した住宅の殆どは軸組構法によるものであったとのことでした。
この説明に続いて、NHKのアナウンサーの「それでは、軸組構法は地震に弱いということになるのでしょうか?」との質問に対して、取材班の本保記者は「いいえ、決してそんなことはありません。」とはっきりとした口調で答えていたのは印象的でした。それでは、なぜ軸組構法の倒壊がこれほど多かったのでしょうか?この疑問については、本保記者の説明を補いながら、私の考えを述べさせていただきます。要約すると、軸組構法が大きい被害を受けた原因は〔1〕耐震壁の不足〔2〕仕口および筋かい端部の施工不良〔3〕品質管理の欠如であると思います。
〔1〕耐震壁の不足
第2次世界大戦後の昭和23年にM7.1の福井地震が発生し、筋かいのなかった住宅はことごとく崩れ3700人あまりの方が亡くなられました。そこで、政府は明治時代から言われていた筋かいの重要性を認め、昭和25年に制定した建築基準法(施行令)のなかで木造住宅の耐震壁に筋かいを取り入れました。その後、昭和27年にM8.2の十勝沖地震で想定外の大被害を受けたため、昭和34年に基準法の改正を行いました。さらに、昭和53年の宮城県沖地震を経て、昭和55年に建築基準法の改正を行いました。この改正は俗に「新耐震設計法」と呼ばれ、耐震設計の基本的な考え方が確立されました。
ところで、津知町の住宅被害調査を行う際、その建設時期を昭和35年以前と昭和36年から昭和55年の間と昭和56年以降に別けたのは、基準法の改正との関係を調べるためだったと考えられます。ただし、法律の施行期日と住宅の施工期間の関係で多少のずれが生じるのは止むを得ないこととご理解ください。そこでまず、昭和35年以前に建てられた住宅について検討してみましょう。昭和35年以前に建てられた住宅は、昭和25年以前に建てられたものと、昭和25年から昭和35年までに建てられたものになります。筋かい等を用いた耐震壁の配置が義務付けられたのは、建築基準法が制定されてからのことですから、基準法制定前のものは当然筋かいが使用されていなかったと考えられます。また、基準法が制定された昭和25年以降でも、住宅金融公庫融資住宅を除くと筋かいを使用せずに建てられた住宅は少なくなかったと聞いています。この様に、筋かいを使用しなかった住宅は、耐震強度が極めて低かったと考えられます。
次に昭和25年に制定された基準法に基づいて筋かいを入れて建てた住宅について考えて見ましょう。この場合でも、昭和55年に行われた改正による耐震規定と比較すると耐震壁がかなり不足していることがわかります。阪神大震災後しばしば聞かされた「既存不適格」の住宅に該当することになるので、住宅の耐震補強などをしようと考えている方には大切
なことなので少し詳しくご説明いたします。
鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物を建てるときは、耐震設計のために綿密な構造計算を行いますが、木造住宅で2階建て以下の場合は一般に構造計算を省略して耐震壁の長さのチェックをすることで済ませているのが現状です。壁量計算とも言いますが、これを理解していないと後へ続かないので簡単にご説明いたします。
木造住宅の耐震設計の基本式は(倍率×耐震壁の実長)≧(係数×床面積)です。この基本式で住宅の張間方向と桁行方向(直交する二方向)のそれぞれについて、法律で定められた長さの耐震壁が入っているかどうかをチェックし、その住宅が地震や台風に対して安全であるかどうかを判断するわけです。さて、基本式の中の倍率と係数は法律で定める数値で、倍率は「TIP構法の広幅筋かいについて」の章でご説明したように筋かいの効力を示す比率で壁倍率ともいいます。また、(倍率×耐震壁の実長)を「耐震壁の有効壁長」といいます。「耐震壁の実長」と「耐震壁の有効壁長」とは違うもので、法律上は「耐震壁の有効壁長」で判定することになります。不等式の右側の係数は所要有効壁長係数で(係数×床面積)は法律上要求される「耐震壁の有効壁長」です。基本式は(倍率×耐震壁の実長)≧(係数×床面積)ですから左辺が右辺より大きくなくても等しければ法律上はよい事になります。
ところで、ここで是非知っておいていただきたいことがあります。それは、以前、建築確認申請をして合法的に建てたのだから、耐震的には全然心配ないと考えているとすれば、それはとんでもない誤りだということです。その理由をご説明しましょう。
建築基準法は制定以来、阪神大震災までに耐震規定に係わる改正が二回行われた事は前に述べました。自然災害を相手にする学問である以上、それまでの経験をもとに決められた耐震規定が予期せぬ新たな経験を経て見直しが行われ、改正されることは止むを得ない事と思いますが、改正の度に前述の基本式の倍率や係数が変更されているのです。それも、概ね厳しい方向に変更されてきました。基準法の改正にともなって、倍率や係数がどう変更されてきたかは表1と表2をご覧下さい。
表1は「耐震壁の倍率の変遷」を示すもので柱の二つ割筋かいは昭和25年では3ですが昭和55年では2に減っています。倍率3が2に減った場合、同じ長さの有効壁長を確保するためには耐震壁の実長を3/2=1.5倍にしなければなりません。また、表2は「所要有効壁長係数」の変遷を示すもので、屋根の軽い建物の2階建ての1階は昭和25年では12ですが昭和55年では29に増えています。係数が12から29に増えた場合は耐震壁の実長を29/12=2.42倍にしなければなりません。二つ割筋かいだけで設計するとすれば、阪神大震災の時点では昭和25年に比して1.5×2.42=3.63倍の耐震壁の実長が必要だったということになります。


つぎは「二つ割筋かいと木ずり片面張り」で構成した耐震壁だけで設計する場合について、昭和25年と昭和55年で屋根の軽い建物の2階建ての1階について検討してみましょう。倍率については昭和25年では3.5ですが昭和55年では2.5で耐震壁の実長は3.5/2.5=1.4倍にしなければならず、係数では29/12=2.42倍にしなければなりません。したがって「二つ割筋かいと木ずり片面張り」で構成した耐震壁だけで設計するとすれば、阪神大震災の時点では昭和25年に比して1.4×2.42=3.39倍の耐震壁の実長が必要だったということになります。
同じ例題を昭和34年と昭和55年で比較すると、倍率は4.5から2.5へ係数は21から29へ変わっています。倍率については4.5/2.5=1.8倍、係数については29/21=1.38倍です。したがって、阪神大震災の時点では昭和34年に比して1.8×1.38=2.48倍の耐震壁の実長が必要だったということになります。
以上の例題は説明を簡単にするために耐震要素を限定し、基本式の左辺と右辺を等しくしているので、実際の設計とは状況が多少違っているとは思いますが、いずれにしても、耐震壁が著しく不足していたことは疑いの無い事実です。
芦屋市の清水町と津知町ならびに神戸市東灘区の深江北町1丁目の地域で、被害を受けた住宅581棟の約80%が全壊、また、芦屋市の津知町で昭和35年以前に建てられた住宅51棟のうち90%が倒壊したのは、耐震壁の著しい不足が最大の原因であったというべきではないでしょうか。
法律が改正になれば当然官報にのせて広報している筈ですが、一般の国民は官報に目を通すことは皆無に近く、したがって耐震基準が改正になった時点で、「耐震壁を増やさないと危険ですよ。」と国民に広く知らせてくれないかぎり、殆どの国民はそのことに気がつかず、ましてや、耐震補強など思いも及ばなかったのではないかと思います。
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